建設業界誌が岩手県宮古市田老地区の復興を特集していた。グラビアの航空写真を見て感慨深かった。東日本大震災の3カ月後に訪れたのだが、文字通り何もなかった。津波は「万里の長城」と称された高さ10メートルの防潮堤を乗り越え、土台から浮き上がった家々は海へ流された。181人が犠牲になった。
▶当時を思い出させるのは、3階部分まで津波に襲われ、骨組みがむき出しとなった津波遺構のホテルだけである。中心部は整然と区画整理され、ポツポツと建物が点在する。町はずれのメガソーラーがひときわ目を引く。シンボルだった防潮堤は、14・7メートルと10メートルの二段構えで整備し直す計画だ。
▶40メートルの高台には新たに住宅地が設けられ、昨年11月に「まちびらき記念式」が行われた。避難していた住民も戻り始めている。が、復興の歩みは確かでも、阪神大震災と比べると明らかに遅い。まもなく5年になる。被災地の人々には「もう」か、それとも「まだ」だろうか。