リオ五輪異聞

「ジャポネス・ガランチード」=日本人は信用できる 日系移民の労苦が勝ち取った信用力を生かせ!

 とはいえ、同じ日系移民でも一枚岩だったわけではない。例えば、終戦を迎えたブラジルで、日系人が「勝ち組」と「負け組」に分かれて両者が対立したことは移民史における最大の悲劇でもある。祖国が戦争に負けたことをデマとして信用しない「勝ち組」は、敗戦の現実を素直に受け入れようとした「負け組」を批判し、ときに流血の騒ぎになることもあったという。

「抗争」が解消した歴史的瞬間

 史上最強の柔道家と呼ばれた木村政彦は両者の抗争の冷めやらぬ1951年、ブラジル遠征を敢行。ブラジル最大のスタジアム「マラカナンスタジアム」で、木村が現地の英雄、エリオ・グレーシーを寄せ付けずに勝利したことで両者の対立は解消し、日系人たちは一体となって熱狂した。「地元ブラジル紙も邦字紙も試合前から一面トップで大きく煽っていた。その扱いは、初めてブラジルで開催された前年の第4回W杯サッカー並みである」(増田俊也著『なぜ木村政彦は力道山を殺さなかったのか』新潮社)

 日伯関係は、ブラジリアン柔術やサッカー、コーヒーなどスポーツや文化においても絆を深めてきた。戦前、戦後を通じてブラジルに渡った移民は農園や料理店、ホテル経営に乗り出し、政財界にも進出した。勤勉さや行儀のよさで現地の人々から一目置かれる存在になった。約150万人に及ぶ日系人は、ブラジル全体の1%近くを占める。日系人が最も多い商業都市、サンパウロでは邦字新聞が発行され、日本食レストランにまず困らない。また、47都道府県の「県人会」が存在するほど、日系社会が根を下ろしている。

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