「ジャポネス・ガランチード」-。そんな言い回しを知る日本人は、なかなかのブラジル通である。今夏、リオデジャネイロ五輪が開催されるブラジルで日本人(日系人)はそう呼ばれ、尊敬の念をもって迎えられてきた。直訳すると「信用できる日本人」。日本人がブラジルで絶対的な信頼を勝ち得たのは海を渡った日系人の資質ゆえ、具体的には仕事に勤勉かつ高いモラルと教育熱心だったからだ。リオ五輪はわれわれの祖先と縁の深い「第2の故郷」で開催される祭典である。日本選手のメダルラッシュの追い風になることを期待したい。
移民の苦闘の100年史
日本からブラジルに初めて移民が渡ったのは1908(明治41)年。神戸港を出港した第1回移民船「笠戸丸」が800人近い日本人を乗せてサントス港に到着。期待と不安が交錯する中、地球の裏側のブラジルの地で生計を探ったのが集団移住の始まりだ。
異国での暮らしは決して順風満帆だったわけではない。言葉や文化の違う中で移民たちは苦難や差別を乗り越え、ブラジルのコミュニティーに溶け込もうとした。激動の歴史をへて、移民70年祭でガイゼル大統領(当時)に「日系人はブラジル国民の重要な一部である」と言わしめるほどの「信頼」を勝ち取り、2008年には記念すべき移民100周年を迎えた。「ジャポネス・ガランチード」とは、我慢強く大地を耕し、ブラジル社会に同化してきた日本人を象徴する言葉である。