この本と出会った

軍人の本だからと毛嫌いしてはならない 昭和の陸軍大国日本の表裏を解き明かす、陸軍大将の自伝『今村均回顧録』

【この本と出会った】軍人の本だからと毛嫌いしてはならない 昭和の陸軍大国日本の表裏を解き明かす、陸軍大将の自伝『今村均回顧録』
【この本と出会った】軍人の本だからと毛嫌いしてはならない 昭和の陸軍大国日本の表裏を解き明かす、陸軍大将の自伝『今村均回顧録』
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 □東京大学名誉教授・比較文化史家、平川祐弘

 敗戦後、日本人は自国に自信が持てなくなった。とくに国を滅ぼした陸軍の将官は軽侮のまなざしで見られた。だがそんな時期に「この本と出会えてよかった」と深く感銘されたのが今村均陸軍大将の自伝である。内実に富み細部が語られていたからだけではない。このような日本人がいたことが有難かったのである。

 今村均(1886~1968年)は真に名将と呼ぶにふさわしい人で、ジャワでオランダ軍を降伏させ軍政をしいた後ラバウルに転じ、そこを半要塞化、現地自活の体制を確立、8月15日まで頑張り通した。そんな戦闘指揮も見事だが、戦後でも、牢獄(ろうごく)でも、立派に身を処した。戦犯として豪州側に訴追され巣鴨で禁錮10年の判決が出た。だが戦犯とされた部下は酷熱のマヌス島で強制労働に服している。今村は志願して赤道直下へ戻り、その島で服役、最後の一兵とともに帰国した。報復裁判は別形態における戦争の継続と考えて、将軍は部下と運命を共にわかとうとしたのである。

 今村は、獄中で、ちびた鉛筆で思い出を書きとめた。明治19年生まれの今村は父に死なれ、一高をあきらめ士官学校に進んだ陸軍エリートだが、陸軍大学の参謀教育に内在した欠点も列挙してある。軍内部になぜ下剋上(げこくじょう)の風潮が生じたのか。満州事変は、自衛か侵略か、かりに自衛として、関東軍の独断専行を追認せざるを得なくなったとき日本は亡びの坂を転がり出した。その間の機微を見事に語るのも今村である。石原莞爾の得意も失意も身近から見ていた今村の、満州事変後の陸軍の人事に対する批判など、傾聴に値する。

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