スポーツ異聞

新監督よ、故・仰木彬監督の「器」に学べ! 「山に登るルートはたくさんある」

選手をその気にさせる術

 一方、正月恒例の「箱根駅伝」で青山学院大を総合2連覇に導いた原晋監督の指導も「減点主義」とは対極にあった。選手の個性を尊重して、長所をできる限り伸ばそうとする指導法である。新興勢力の大学の陸上監督として、ジュニア世代に「陸上は楽しく、夢があること」を発信する役割を感じてきたという。「忍耐」という言葉で彩られがちな、長距離に熱い思いを寄せる苦労人ならではの「感性」といえるだろう。

 実は仰木監督も営業マン的なサービス精神旺盛の人だった。「鈴木一朗」というありふれた名前ではつまらないと、「イチロー」の登録名で売り出すきっかけを作ったエピソードは有名だ。

 オリックスの井箟重慶元球団代表の『プロ野球 もう一つの攻防』(角川SSC新書)によると、改名の提案にイチローは当初、驚きの表情を見せた。「今はいいですが、この先、子供ができて父親がイチローではおかしいでしょう」と譲らない。すると、仰木は佐藤和弘を呼び寄せて、「おまえは来年から登録名を佐藤から別のものにしよう。おまえの頭はパンチパーマだからパンチでいこう」と口説くと、佐藤は快諾。矢継ぎ早に「先輩の佐藤が変えるんだから、おまえも来年からイチローで登録だ」と強引に納得させ、やがてイチローは「オリックスの顔」になる。もしも「鈴木一朗」のままでいたら、これだけ偉大なプレーヤーになっていただろうか。

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