湯浅博 全体主義と闘った思想家

独立不羈の男・河合栄治郎(21)その生涯編・米国生活「日露戦争で何故小さな日本が勝ったか…」

(毎週土日に掲載します)

書を捨て街に出でよ

 河合栄治郎は大正7(1918)年11月、号外売りのけたたましい呼び声に「ドイツ降伏」のニュースを知った。

 第一次大戦は、栄治郎が東京帝大を卒業した前年の大正3年に始まっていた。日本は欧州勢力の後退に乗じて対華21カ条要求を袁世凱政権に突きつけた。いま、その大戦が栄治郎の米国滞在中にようやく終結した。

 米国のウィルソン大統領が提唱する国際連盟の創設へ、世界が動き出す瞬間に思えた。ジョンズ・ホプキンズ大学内もまた、終戦を迎えて自由擁護の空気がみなぎっていた。

 栄治郎はこの大学で、ダイシー教授の著書『19世紀英国に於ける法律と世論との関係』に出合い、自由主義の研究へと導かれていく。彼は「一巻の書が之ほどに自分を動かした経験を未だ嘗(かつ)て味わったことがない」(「米国生活の思い出」『全集第二十巻』)と、感激のうちに読了している。

 後に栄治郎の思想の根幹をなす英国思想界の巨人、トーマス・ヒル・グリーンを知ったのも、哲学のスロムニスキー教授の教示がきっかけだった。研究室を訪ねると、教授は栄治郎が「何を求めているのか」を詳しく聞き出した。

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