話の肖像画

世界エイズ・結核・マラリア対策基金局長 國井修(4)世界の現場を飛び回る

 現地の国連機関を中心に動いたのが「クラスターアプローチ」。援助機関が個別に活動するのではなく、保健、水衛生など分野ごとに集まってクラスター(集合体)を作り、調整役のもと情報交換や支援活動の調整、協力を行う。軍事政権下でも援助活動が許された数少ない機関だったユニセフは、10のクラスターの半数以上で調整役や主要な役割を務めました。

 〈テロなどの事件にも対応した〉

 8(1996)年に起きたペルー日本大使公邸占拠事件では、勤めていた国立国際医療センター(当時)から現地対策本部の医療班に派遣されました。ペルー軍の突然の強行突入による負傷者や、保護された邦人の診療をしました。

 15(2003)年には、米国が戦争終結を宣言したばかりのイラクに、保健医療状況の調査に行きました。5日間でイラク各地を回りましたが、そのときに案内してくれたのが外務省の奥克彦参事官と井ノ上正盛書記官。再会を約束して別れましたが、2人とも4カ月後に殉職されました。

 〈さまざまな国が教えてくれるのは、仕事のやりがいだけではない〉

 住んでみて、人生に対する考え方に影響を受けたのはブラジルですね。日本とは正反対の国で、人生を楽しまなければならないと教えられた。歌って踊って、人生を楽しむことも覚えました。ブラジルは人と人との絆が強く、愛や情熱に満ちあふれている。その代わり憎しみも哀(かな)しみも強い。ブラジル音楽にも、熱い情熱と狂おしいほどの哀愁が交錯しています。「熱い」国でした。(聞き手 道丸摩耶)

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