九州の礎を築いた群像 ハウステンボス編

(4)閉園の危機(上)

広大なハウステンボス。閉園の危機に直面した
広大なハウステンボス。閉園の危機に直面した

 ■「広大な施設が廃墟になってしまう」市長の焦燥、経済界動かす

 「状況は非常に厳しく、われわれは撤退せざるを得ません。来年3月まで経営を代わっていただけるスポンサーを探しますが、見つからなければ…。もう今期いっぱいです」

 平成21年9月、長崎県佐世保市長の朝長(ともなが)則男(66)は、ハウステンボスの親会社である野村プリンシパル・ファイナンス(平成26年3月解散)の社長から、こう言い渡された。

 朝長は目の前が真っ暗になった。野村の撤退は、限りなく「閉園」に近い意味を持つ。あの広大で豪奢(ごうしゃ)な街が廃墟(はいきょ)となった姿が脳裏に浮かんだ。

 「2カ月前の報道が現実のものとなってしまった…。スポンサー探しがうまく行くことを祈るしかない」。朝長はため息をついた。

 2カ月前の7月15日。「野村がハウステンボス支援を要請、経営権譲渡も」。こんな見出しの新聞記事が載った。野村プリンシパルが、取引のある企業でつくる「ハウステンボス協力会」のメンバーに、支援を要請するという中身だった。

 ハウステンボスのスタッフは凍り付いた。記事が出たのは、皇太子さまが佐世保市で開かれる献血運動推進全国大会に出席するため、ハウステンボスに宿泊される、その日だった。歓迎ムードにわく中、スタッフの脳裏に野村撤退の文字がちらついた。

 朝長はこの記事が出たころから、地元首長として動かなければならないと、ひしひしと感じた。

 だが、企業や経営者が何を求めているのか、自治体がどこまで手を出せばよいのか、分からなかった。野村の動向を見守るしかない。朝長はもどかしかった。

 朝長の祈りも届かず、スポンサー探しは難航した。

 野村プリンシパルの社長は朝長を訪問した際、神戸市のホテル運営会社と、ハウステンボスの経営権譲渡を視野に交渉していることを告げた。

 ホテル運営会社側の条件は、佐世保市がハウステンボスの施設を買い取ることだった。市として検討はしたが、リスクが大きすぎた。交渉はまとまらず、いよいよ、閉園が現実味を帯びた。

 ハウステンボス閉園は、佐世保市にとって悪夢としか言いようがなかった。

 佐世保市は、明治22年に旧海軍の鎮守府が置かれて以来、軍港そして造船の街として発展した。

 だが、日本の造船業はバブル崩壊後、韓国や中国の攻勢に遭い、苦境に陥った。佐世保でも造船関連企業が破綻した。長崎県で2番目といっても、佐世保は人口25万人の地方都市だ。造船が衰えれば、台所事情は厳しくなる。

 ハウステンボスは、佐世保が観光都市に生まれ変わる施設として期待されていた。場内では1千人以上のスタッフが働く。閉園になれば、全員が路頭に迷う。

 周辺にはハウステンボス入場者を見込んで多くのホテルもある。朝長は、ホテル一つ一つの名前を思いだし、苦悩を深めた。こうしたホテルが廃業に追い込まれ、取引先など関連企業も含めれば、影響は数万人規模に及ぶだろう。

 「それだけじゃない。施設はどうするんだ…」

 さらに重大な問題に行き着いた。ハウステンボスは東京ディズニーランドの2倍、152万平方メートルもの広大な面積を有する。

 「閉園すれば固定資産税が滞納される。そうなれば、佐世保市が差し押さえをして、競売にかけることになるけれど、あんな広大な土地を誰が買える? 誰も買えないまま市が土地や建物を管理するなら、巨額の費用が必要だ。そんな税収はないぞ」

 関連産業どころか、市そのものが破綻する危機だった。

                 × × ×

 朝長は長崎県立佐世保南高、青山学院大を卒業し、昭和62年に佐世保市議選で初当選した。市議を2期、平成6年から長崎県議を4期務め、平成19年に佐世保市長に就任した。

 平成4年に開業したハウステンボスが、佐世保にとってどれほど大きな存在かは、議員時代から認識していた。そのハウステンボスは巨額の初期投資が経営の重荷となり、15年に会社更生法の適用を申請して破綻した。

 支援企業として名乗りを上げたのが野村プリンシパルだった。野村グループの下、入場者数が一時的に持ち直したときは、心底ほっとした。

 だが20年、米国でリーマン・ショックが起きた。野村証券を核とする野村ホールディングスは、破綻したリーマン・ブラザーズの欧州・アジア事業を買収した。しかし、金融・証券市場の混乱は続き、海外事業は野村にとって経営の重荷へと変わった。この影響も、野村プリンシパルのハウステンボス撤退につながった。

 「野村がこれだけ支援企業を探しているのに見つからない。どうすればいいんだ」。朝長は頭をかきむしるような日々を送った。そして、脳裏に1人の男の名前が浮かんだ。

 21年10月6日。朝長は福岡市にある九州電力本社にいた。会長の松尾新吾(77)=現相談役=に面会を求めた。

 「九電の松尾さんがハウステンボスのことを心配しているようです」。朝長の耳には、財界関係者からこんな情報が入っていた。

 九電は九州経済を動かす企業であり、松尾は九州経済連合会の会長でもある。「支援してもらえるか分からないが、とにかく駆け込んでお願いするしかない」

 朝長は九電の応接室で、松尾に語り始めた。

 「野村がハウステンボスから撤退するようです」。事情を説明するにつれ、朝長の脳裏を、また絶望感が駆け巡り、焦りが増した。

 「このままでは、あの施設が廃墟になります。雑草が生い茂るだけの土地になります。佐世保の経済界だけでは手に負えません。福岡の企業のお力をお借りしたい。支援を検討していただけないでしょうか」

 ここまで一息に訴え、深々と頭を下げた。

 松尾は確たる返答はしなかったが、ずっと朝長の支援要請を待っていた。福岡、九州経済界として支援が必要だと考えていたのだ。

                  × × × 

 松尾は生まれてから3歳まで佐世保で過ごした。幼少の記憶はかすかに残っている。市内には海軍の軍需工場である海軍工(こう)廠(しょう)があり、職員が通勤する足音を子守歌代わりに聞いた。

 昭和38年に九電に入社し、振り出しも佐世保営業所だった。1年遅れて入社した女性に恋をし、結婚した。伴侶となった英子もまた佐世保出身だ。

 その故郷に平成4年、「東のディズニー、西のハウステンボス」とうたわれるレジャー施設が誕生した。松尾にとっても誇らしかった。

 とはいえ、松尾がハウステンボス支援の可能性を探ったのは、単なるノスタルジーからではない。

 ハウステンボスは福岡に本社を置く企業とも結びつきが深い。JR九州は多くの入場客を電車で運び、正門前でホテルも運営する。巨大施設の運営に不可欠な電気は九電が送り、九電工は開業時から電気設備の工事に携わる。建物の冷暖房やレストランへのガス供給は、西部ガスが担っている。

 ハウステンボスの株主となっている会社も多い。パークそのものがなくなれば、観光産業にとどまらず、打撃は計り知れない。

 松尾は九州経済を考え、「ハウステンボスを廃墟にしてはならない」との結論に至った。

 「財界として、できることはないか検討しよう」

 松尾は朝長と会った直後、旧知の企業幹部に電話をかけ、事情を説明した。

 福岡には、主要企業でつくる「七社会」と呼ばれる任意団体がある。九電、九電工、西日本鉄道、JR九州、西部ガス、福岡銀行、西日本シティ銀行の7社がメンバーだ。政界にも影響力を持ち、福岡や九州の活性化プロジェクトに連携して取り組む。九電は、七社会のまとめ役だ。

 松尾の呼びかけによって、朝長の陳情から2日後の10月8日、七社会のうち銀行を除いた5社と、コカ・コーラウエスト、福岡地所の会長・社長らが福岡市内のホテルに集まった。ハウステンボス支援の可否を検討することが決まった。検討期間は1カ月とした。

 松尾は朝長に電話をかけた。

 「われわれが再建を支援できるかは分かりません。しかし、できる限り検討はしてみましょう。経営状況の調査が必要ですから、少し時間をいただけますか」

 テーマパーク存続へ、会社を横断した前代未聞の議論が始まった。 (敬称略)

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