話の肖像画

世界エイズ・結核・マラリア対策基金局長 國井修(2)負けず嫌い…必死に学んだ

わんぱくな子供だった (本人提供)
わんぱくな子供だった (本人提供)

 〈福島県に近い栃木県北部の大田原市で育った。そこで育まれたのが負けず嫌い精神だ〉

 雪が降っているから長靴をはいて家を出たのに、高校がある宇都宮に着いたらまったく雪がない。田舎者とからかわれました。

 中学のとき、親に頼んで東京の塾の夏期講習に通わせてもらったんですが、そのときも田舎者といじめられました。頭は丸刈りでしたし。でも、「こいつらには絶対に負けない」と思って勉強した。ぼく、負けず嫌いなんですよ。

 共働きの両親に代わって育ててくれた「育てのばあちゃん」が胃がんで亡くなったのはそのころです。看護師の母の影響で医者になりたいと思っていましたが、本気で決意したのは苦しむばあちゃんに何もできなかった後悔から。外国人を見たこともない田舎の少年でしたから、シュバイツァーやリビングストンの本に影響を受け、医師になってアフリカで働きたいと思った。地理の時間は先生の話を聞かず、地図を眺めながらアフリカで医者として働く姿を空想していましたね。おかげで、テスト結果はさんざんでした(笑)。

 〈医学部を志すも、大きな壁があった〉

 記憶力が良くなかったんです。ぼくと一緒に下宿していた高校の同級生は、「ねむり」ってあだなで呼ばれていて、本当によく寝る。それなのに、ぼくの10分の1くらいの勉強量でちゃんと覚えられる。頭が良くないことを自覚したぼくは、その分必死に勉強した。親に経済的負担をかけずに絶対に医者になるぞって。

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