湯浅博 全体主義と闘った思想家

独立不羈の男・河合栄治郎(20)その生涯編・米国出張

米国に出張した河合栄治郎=大正7年 (全集別巻「河合栄治郎伝」から)
米国に出張した河合栄治郎=大正7年 (全集別巻「河合栄治郎伝」から)

(毎週土日に掲載します) 

自由の国からの先制

 河合栄治郎が乗船したコレア丸は、大正7(1918)年8月30日に横浜を出港した。農商務省事務官、栄治郎28歳。前年の6月に結婚し、つい5カ月前に長女、純子が生まれたばかりだった。

 目指す米国は「新自由主義」を掲げるウッドロー・ウィルソン大統領に率いられ、第一次大戦で疲弊する欧州に代わり、世界をリードしつつあった。

 半月に及ぶ太平洋横断の航海は、栄治郎にとって読書三昧の日々だった。同じ船には、米国を経て欧州に向かう臨時産業調査局の上司、吉阪俊蔵が乗船していた。栄治郎は当初、英国行きを熱望したが、欧州は先輩の吉阪に割り振られた。

 しかし、栄治郎は後に、この米国出張を過去3度の海外生活の中で、「もっとも収穫の多い9カ月の旅であった」と位置づけている。彼は「みなぎる専制主義、軍国主義への反対が私に自由主義をば、文字に於てでなしに、直接に胸に魂に鼓吹したに違いない」と振り返る(「著者自らを語る」『河合栄治郎全集第十七巻』)。

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