海道東征を紡ぐ 信時潔物語

(21)「一つ信じたものを通していく」…戦時中でも夜中、新曲に耳傾け

信時潔に師事した作曲家の大中恩さん
信時潔に師事した作曲家の大中恩さん

交声曲「海道東征」が11月28日、福岡市のアクロス福岡シンフォニーホールで公演されます。これに合わせ平成27年8~9月に産経新聞で連載した「海道東征を紡ぐ―信時潔物語」をアーカイブ配信します。あらためて創作の背景や作品の歴史的意義についてお伝えできればと思います。肩書などは当時のままです。チケット販売に関しては産経iD(https://id.sankei.jp/e/4924)をごらんください。

「海坊主のような方でした」と、いたずらっぽく笑うのは、童謡「サッちゃん」「いぬのおまわりさん」などで知られる作曲家、大中恩さん(91)。多くの合唱曲、歌曲を生み出してきたが、昭和17年に東京音楽学校作曲科に入学し、師事したのが信時潔(のぶとききよし)だった。

「坊主頭で体も大きな方なんです。その割に声は高くて。『コラァ』と怒るときも頭の上から出すから、よくまねしました」

ドイツ留学から帰国した翌大正12年、信時は、東京音楽学校甲種師範科を卒業した白坂ミイと結婚。さらにその年の6月、同校教授に就任し、新しい生活がスタートした。35歳だった。

この頃、信時は作曲家としても独唱曲、合唱曲を中心に作品を次々と生み出していく。30代の終わりに作った与謝野晶子の短歌と詩による連作歌曲「小曲五章」などは、今も歌われる名曲だ。一方、学校では本科作曲部の創設に尽力。ところが昭和7年、作曲部が新設されると自らは教授を辞した。部長に、という周囲の声も多かったが、作曲に力を注ぐ意味もあったのだろうか、講師となる。

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