海道東征を紡ぐ 信時潔物語

(19)人生を変えたドイツ留学…シャワーを浴びるように聴き吸収した

交声曲「海道東征」が11月28日、福岡市のアクロス福岡シンフォニーホールで公演されます。これに合わせ平成27年8~9月に産経新聞で連載した「海道東征を紡ぐ―信時潔物語」をアーカイブ配信します。あらためて創作の背景や作品の歴史的意義についてお伝えできればと思います。肩書などは当時のままです。チケット販売に関しては産経iD(https://id.sankei.jp/e/4924)をごらんください。

人生には何度か岐路がある。信時潔(のぶとき・きよし)の場合、留学がその一つだったといえるだろう。東京音楽学校研究科器楽部を修了後、同部作曲部を修めた大正4年、信時は27歳で同校の助教授に就任した。そして30歳を過ぎて、文部省派遣在外研究員として留学が決まる。

当初はアメリカに決まっていたが、同8年に養父・義政が死去したため延期に。翌年からドイツが留学先の候補地に追加され、行き先はベルリンとなった。もし留学先がアメリカだったら、信時のその後は変わっていたのではないだろうか。というのも、ドイツでの経験はそれほど信時にとってかけがえのないものになったからだ。

信時が渡独したのは第一次世界大戦後の1920年。ドイツは敗戦のため多大な賠償金を課され、その3年後にはハイパーインフレが起きた。信時が滞在した約2年間も交通や水道、ガスなどがストライキでストップしたほど政情が不安定だった。

しかし、街では音楽会やオペラ公演が連日開かれ、紙質は悪いが楽譜もそろっていた。ベルリンの音楽界で強い影響力を持っていた指揮者で教育者のゲオルク・シューマンのもとで学び、生の演奏会を熱心に聴きに出かける毎日だった。

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