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「アトムに魂…」と喜んだ手塚治虫
〈昭和37年秋、まだ26歳だった駆け出しの新劇女優は、東京・練馬の「虫プロダクション」で、手塚治虫と初めて対面した〉
ベレー帽、まん丸メガネに、確か白い開襟シャツを着てらして、座って話す様子はとても優しい印象でした。「鉄腕アトム」の絵コンテ(動画の進行を簡単な絵で指示したもの)と設定画を見せながら、「小学5年生の男の子のつもりで演じてください」と言われました。
実は私、仕事の話が来るまでアトムを知らなくて、慌てて1、2冊読んだだけでした。新劇をやりたかったから難しい戯曲ばかり読んでいて、漫画なんて手も触れなかった。だから、「漫画の神様」と呼ばれるような偉い方だとは思わなかったんです。ただ一生懸命、アニメーションが作りたいということで、その同志の一人として私が迎えられたという感じでした。
〈当時は劇団新人会の研究生。事務所に「『鉄腕アトム』のパイロット版(試作映像)に声を入れてほしい」と仕事依頼が来たが、なぜ自分が指名されたか分からなかったという〉
あの頃は外国作品の吹き替えはほとんど新劇の俳優がやっていて、研究生の私にも仕事が来ていました。名馬が活躍する「スーパーヒューリー」という番組で主役の少年を演じていて、アトムの仕事が来て「認められちゃったのかな」なんて思っていたんです(笑)。