海道東征を紡ぐ 信時潔物語

(17)日本オーケストラの父の命受け、見よう見まねでチェロ演奏

信時らが通った旧東京音楽学校奏楽堂。老朽化のため芸大から上野公園内に移築され保存されている
信時らが通った旧東京音楽学校奏楽堂。老朽化のため芸大から上野公園内に移築され保存されている

交声曲「海道東征」が11月28日、福岡市のアクロス福岡シンフォニーホールで公演されます。これに合わせ平成27年8~9月に産経新聞で連載した「海道東征を紡ぐ―信時潔物語」をアーカイブ配信します。あらためて創作の背景や作品の歴史的意義についてお伝えできればと思います。肩書などは当時のままです。チケット販売に関しては産経iD(https://id.sankei.jp/e/4924)をごらんください。

信時潔(のぶとききよし)が東京音楽学校で専攻したのがチェロだった、というのは少し意外かもしれない。その背景には洋楽の黎明(れいめい)期ならではの愉快なエピソードがあった。

明治新政府が日本の音楽教育のあり方を研究するため、文部省の一機関として明治12年に設立した「音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)」が前身の同校。信時が入学した39年ごろはちょうど拡張期だった。

ドイツ生まれのバイオリニスト、アウグスト・ユンケルが着任したのが少し前の32年。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターも務めた優れた音楽家だった。いわゆる明治の「お雇い外国人」だが、同校ではオーケストラを作ろうと尽力する。日本のオーケストラの父ともいえる存在だ。このユンケルに信時は「チェロを専攻しろ」と命じられる。実は、オーケストラ作りのために、生徒をつかまえては足りない楽器の奏者にし、「オーケストラに入れ」と勧めていたのだ。信時の2級上で、声楽専攻だった山田耕筰も命じられてチェロを習わされたという。

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