海道東征を紡ぐ 信時潔物語

(13)エンピツを倒して決めた? 東京音楽学校の受験…上京広い舞台へ

交声曲「海道東征」が11月28日、福岡市のアクロス福岡シンフォニーホールで公演されます。これに合わせ平成27年8~9月に産経新聞で連載した「海道東征を紡ぐ―信時潔物語」をアーカイブ配信します。あらためて創作の背景や作品の歴史的意義についてお伝えできればと思います。肩書などは当時のままです。チケット販売に関しては産経iD(https://id.sankei.jp/e/4924)をごらんください。

日本近代洋楽の父といわれ、多くの後進も育てた信時潔(のぶとき・きよし)だが、大阪の旧制市岡中学時代は、画家になろうか、作曲家になろうか、それとも法律家になろうかと思案したらしい。

市岡の同級生だった石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)純太郎の息子、恒夫に語ったところによると…。信時少年は、紙に円を描いて中心に鉛筆を置き、三方にそれぞれ、画家、作曲家、法律家と書いたうえで、鉛筆を倒した。そうすると作曲家の方向に倒れたから、作曲家になった…などと、冗談ともつかない話も残っている。

信時は戦後、武者小路実篤が提唱して結成されたグループの雑誌「心」(昭和23年創刊)の同人となり、寄稿したり、座談会に出席したやりとりが載ったりもした。昭和32年9月号では、「問はれるまゝに」というタイトルで、インタビューに応じて自らの生い立ちや音楽活動を語る記事が掲載されている。

そこで信時は、東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)受験のきっかけについてこう話した。

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