戦後70年

東京裁判で処刑された唯一の文官、広田弘毅元首相の孫・弘太郎さん語る 「評価は歴史がする」

 「祖父は『これが遺言だ』などと格式張ったことではなく、家族と日常会話を交わしていました」

 東京裁判では、占領下ながら広田の助命を嘆願する署名活動が行われたが、「自ら計らわず」を信条とする広田は裁判で一切弁明しなかった。

 「祖父は東京裁判の欺瞞(ぎまん)性は見抜いており、家族への手紙で『どういう結論がでるか予断を許さない』と伝えていました。極刑もあり得ると踏んでいたに違いないと聞いています」

 広田の妻で弘太郎さんの祖母、静子さんは裁判開始直後に「パパを楽にしてあげる方法が一つあるわ」と言って服毒自殺した。「祖母は後顧の憂いをなくすことが愛情だと思ったのでしょう」

 処刑後、遺族は広田についてほとんど口外しなかった。「特に身近にいた叔母(広田の娘)たちは一切語らなかった。自分の行動そのものが答えであり、それを家族が弁護や正当化すべきではない。評価は歴史がする。祖父にそう教えられ、それが家訓のようなものでした」

会員限定記事会員サービス詳細