海道東征を紡ぐ 信時潔物語

(11)異なる才を認め合った友、田宮猛雄…きらめきは晩年まで

交声曲「海道東征」が11月28日、福岡市のアクロス福岡シンフォニーホールで公演されます。これに合わせ平成27年8~9月に産経新聞で連載した「海道東征を紡ぐ―信時潔物語」をアーカイブ配信します。あらためて創作の背景や作品の歴史的意義についてお伝えできればと思います。肩書などは当時のままです。チケット販売に関しては産経iD(https://id.sankei.jp/e/4924)をごらんください。

明治34(1901)年4月、信時潔(のぶとききよし)は13歳で創立直後の旧制市岡中学校(大阪市港区)に入学した。

当時、詰め襟、金ボタンの旧制中学の制服は、それを着て歩くだけで道行く人から憧れの視線を集めた。ただ、足元は少々無粋なゲートルだった。というのも、通学は必ず徒歩と決められていたからだという。

大阪・中之島界隈(かいわい)に育った信時がその長い通学路、一緒になることが多かったのが、後に日本医師会会長、東京大学医学部教授を歴任し、国立がんセンター初代総長になった田宮猛雄(1889~1963年)だった。

裕福な医師の家に生まれた田宮の堀江にあった自宅に、信時はよく立ち寄った。

日本で発売されたばかりのブリタニカ百科事典が並び、ピアノが個人の家に収められているのが極めて珍しい時代にドイツ製のピアノやバイオリンが置いてあり、アメリカ製の蓄音機から西洋音楽が流れていた。後年、その様子を思い出して信時は、「西洋文化の香り高い家庭であった」と表現している。

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