戦後70年〜東京裁判とGHQ(4)

戦後史は闇市から始まった 占領政策の後遺症とWGIPの呪縛はなお…

× × ×

 マッカーサーは執務中ほとんど席に着かず、室内を歩き回るのが癖だった。しかも軍人らしく7歩歩くと回れ右、また7歩歩くと回れ右-。これを見た吉田は茶目っ気たっぷりにつぶやいた。

 「まるで檻の中のライオンだな…」

 マッカーサーは一瞬ムッとした後、ニヤリと笑った。マッカーサーがフィリピン製の葉巻を勧めると、吉田は「私はキューバ製しか吸わないんだ」と懐から葉巻を取り出した。

 誰もが恐れる最高権力者に対して不遜極まりない態度だが、マッカーサーは「面白い奴だ」と思ったらしく、吉田との面会には応じるようになったという。

 ある日、吉田は「食糧難がひどく、このままでは大量に餓死者が出る。至急食糧支援をお願いしたい」と申し出た。マッカーサーは「では必要量を統計から弾いてくれ」と即答し、米国から大量の小麦粉や脱脂粉乳などを送らせた。

 ところが大量の在庫が出た。マッカーサーが吉田に「一体どんな統計データを元に必要量を弾いたんだ」と迫ると、吉田は平然とこう言ってのけた。

 「日本がきちんと統計をできるなら米国と戦争なんてしていない」

会員限定記事会員サービス詳細