戦後70年

神道の命運左右した「視察」 GHQに新嘗祭見せよ…占領政策から神社守った宮司の戦い

 視察を終えて車に乗り込む際、一行の1人が平野さんを抱き上げた。日本人側に緊張が走った。が、ドロップやガムを渡すと優しく抱き下ろし去っていった。「父は私が泣いたら終わりだと思っていたそうです」。幸い、幼児は笑顔で一行を和ませた。岸本は手記に「歓を尽す。司令部側に対して、よき知識を供給」と記している。

ファシズムの施設と全く違う」

 約3週間後の12月15日、発令された神道指令は政教分離を徹底させたが、神社の取り壊しといった日本人の精神文化の破壊には踏み込まなかった。

 国学院大の大原康男名誉教授(宗教行政)によると、発令までにCIEが視察したのは靖国神社と中氷川神社だけで、「厳かで優雅な神社の祭典を視察して、ナチズムやファシズムといった全体主義的な施設とは全く異なるものだと実感したのだろう」と視察の影響を指摘している。

 神道指令 昭和20年12月15日、GHQが政府に対して発した指令「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」の略称。ポツダム宣言で認められた「信教の自由」を前提に、政教分離を目的として出された。神社を国が管理する「国家神道」を廃止し、神社は宗教法人として存続することになった。

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