戦後70年〜東京裁判とGHQ(1)

火葬場から盗み出された7人の遺灰は… 広田弘毅は無理な罪状にも「自ら計らわず」

 火葬場長は、米兵がわずかな骨片や遺灰は掃き集めてコンクリ穴に捨てたのを見逃さなかった。クリスマスの夜ならば警備も手薄になるに違いない。こうして3人は首尾よく遺灰を取り戻したのだった。

 最終的に遺灰を持ち込んだ興亜観音は、東京裁判で南京事件の責任を問われ処刑された元中支那方面軍司令官、松井石根(陸軍大将)が日中戦没将兵の慰霊に建立した寺だった。松井は巣鴨への出頭直前に密かに興亜観音を訪ね、「どうか英霊の供養を頼む」と住職の伊丹忍礼の手を握った。

 それだけに興亜観音は絶好の安置場所だったが、油断はできない。三文字は骨壺を持ち込んだ際、「これはお知り合いのご遺灰です。時機が来るまで誰にも分からぬよう秘蔵していただきたい」と頭を下げた。誰の遺灰かピンときた伊丹は快諾し、本堂の床下や礼拝堂など隠し場所を頻繁に変えて遺灰を守り続けた。作業は真夜中に行い、家族にも秘密だった。伊丹の三女で現住職の妙浄(63)はこう打ち明けた。

 「父はご遺灰については何も語りませんでしたが、『兵隊さんのご苦労を思えば何の苦労もない。ご英霊のご丹精があったからこそ今日の日本がある』というのが口癖でした。英霊はA級もB級もなく供養するのが当たり前だと考えていたのでしょう」

× × ×

 A級戦犯として処刑された7人の中で元首相、広田弘毅は外交官出身で唯一の文官だった。

会員限定記事会員サービス詳細