満州文化物語(13)

居留民の引き揚げ時期に「大きな差」ができたのは…

「父の消息はまったくなかった。八路軍(中国共産党軍)から懸賞金を掛けられていたような人で、『もう死んでいるのだろう』と諦めていたんです」

ところが、その父親が家族よりも早く、祖国の土を踏んでいたのだから運命は分からない。

「奇跡の脱出」行を終えた下道部隊は9月9日、三河で約270人の居留民と別れ、武器を持ったまま北支軍(日本軍)から北京城の警備を命じられる。八路軍と対立する中国国民党軍(重慶軍)の主力が北京に到着するまで代わりに警備を依頼されたのだ。

アメリカの支援を受けた国民党軍の主力が北上し、北京へ着いたのが11月。守備交代し、ようやく下道らが武装解除となったのが12月である。

満州に比べて北支からの居留民引き揚げがスムーズに進んだのは、こうして日本軍の武装解除が遅れたためと言っていい。中国内の居留民は日本軍の武器に守られて比較的安全に移動することができたからだ。

お役御免となった下道部隊の約730人はその年(昭和20年)の12月17日、長崎・佐世保に引き揚げる。復員式を行い、隊長の下道は妻の実家がある札幌へ向かう。日本着は満州で苦労を重ねた家族よりも1年近くも早かったのだ。

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