九州の礎を築いた群像 ハウステンボス編

(2)復活(中)

月の売上高が7000万円を超える「カステラの城」
月の売上高が7000万円を超える「カステラの城」

 ■「ショップじゃない、アトラクションなの」 元ヒルズ族がカステラの城

 平成23年12月、ハウステンボス社長の沢田秀雄(64)は1人の男を起用した。人材派遣大手、グッドウィルのグループ会社で役員を経験した早坂俊(たかし)(48)=現執行役員新規店舗開発部部長=だった。

 早坂は東京・六本木の高級マンションに住んでいた。いわゆる「ヒルズ族」の一人だ。ハウステンボスにも、長崎・佐世保にもまったく縁のない早坂に、沢田は面接でこんな声をかけた。

 「あなたには運がありますか」

 早坂は意表を突かれながらも、とっさに「あります」と答えた。

 沢田「なんで?」

 早坂「沢田さんは冷やかしで僕と会う人じゃありません。面接を受けてくれただけで、合否は51%僕に分があります。だから運があります」

 沢田「分かりました。もういいです」

 退席を促された。早坂は「機嫌を損ねたんだろうか」と不安を抱きながら、荷物をまとめた。

 後に沢田を知る人から聞いた。沢田は退席するときの背中に「オーラ」があるかを見るのだという。型破りな面接に、早坂は「この人と働きたい」と思った。長年、「何の仕事をするかより、誰の下で働くかが重要だ」と考えていたこともある。

 神戸生まれの早坂は、人生の大半を東京で過ごした。会社では複数の事業の規模拡大に手腕を発揮した。

 国内だけではない。ニューヨークや香港でレストランをプロデュースしたこともある。何よりも固定概念を壊すことに重きを置いた。五感で楽しめるメニューを提供した。

 面接から2日後、ハウステンボスから社長付で採用したいと連絡があった。

 最初は船でハウステンボスに入った。船上から街並みを目にした時、「きっと俺は、ここで重要な役割を果たすに違いない」という思いが、なぜか沸き起こった。

 その思い通り、早坂はハウステンボス復活の足取りを、常識破りの手法で速めた。

                × × × 

 初出勤から3カ月が経ったころ、早坂の目の前で、沢田が机にハウステンボスの地図を広げた。

 「店舗開発、新商品の開発、サービスやおもてなし、すべてを牽引(けんいん)してくれ。脱オランダの発想で、ハウステンボスを進化させてほしい」

 事実上、「ホテル以外、場内の全てを担当しろ」という命令だった。

 早坂はまず、無料休憩所の新たな活用に取り組んだ。思いついたのが、100種類のカステラをそろえ、食べ比べもできる「カステラの城」だった。東京育ちの早坂にとって、長崎といえばカステラだった。

 ある生え抜きの従業員がため息をついた。

 「東京の人には分からないと思いますけど、長崎ではカステラは買うものじゃなくて、もらうものなんです。しかもどこでも売っている。そんな専門店をつくっても、売れるんですかね」

 直接は言わないが、「よそ者はこれだから…」という雰囲気に満ちていた。

 ハウステンボスは平成4年の開業以来、赤字が続いた。15年に会社更生法の適用を申請してからは、再建の名目で、外部から多く人がやってきては、口も手も出した。だが業績回復にはつながらない。沢田にしても早坂にしても、スタッフは「またか」という思いを抱いた。

 だが、早坂は意に介さないどころか、むしろ、反対意見が多かったからこそ、実行を決心した。カステラの城を成功の象徴にする-。

 沢田もゴーサインを出し、プロジェクトは動き始めた。

 デザイナーが作った最初の案は、何の変哲もない販売店だった。

 「俺がやりたいのはショップじゃないの! アトラクションなの!」。早坂は叫んだ。

 グッドウィル時代、ラスベガスや香港などで世界一流のショーを見た。言葉が通じなくとも、五感で「ワオ!」と感じる要素が詰まっていた。カステラの城で、この驚きを再現したかった。

 カステラをどうアトラクションにするか。早坂は、15種類のカステラが入ったショーケースを「ロの字」型に並べた。客はショーケースに沿って歩きながら、ひとつずつ試食する。側でスタッフが商品を解説する。試食ゾーンの先には、100種類のカステラを陳列した。

 24年11月11日午前11時11分、カステラの城がオープンした。開業日時には、「ナンバーワン店舗にするぞ」という思いを込めた。

 早坂は店舗を見回った。「おいしいね」「どれを買って帰る?」。客は楽しそうに悩んでいた。

 開店初日から50メートルの列ができた。

 地元スタッフが「今さら」と感じるカステラに、試食という付加価値を上乗せした。後から思えば「な~んだ」というアイデアだが、それまでの固定概念を覆した。

 早坂は沢田に報告した。「社長、1日の売り上げが500万円になりました」。沢田は信じられないという顔で早坂を見た。そんな数字を出す店舗はこれまでなかった。

 開店から数日後、創業100年を超えるカステラメーカーの社長がハウステンボスを訪れ、早坂に告げた。「業界内のわれわれでは、あんなことは思いつかない。あなたに敬意を表したい」

 カステラの城は今も、月7千万円を売り上げる。

 沢田は早坂に命じた。

 「この城をシリーズ化しよう。7つの城をつくってくれ」

 「チーズの城」「ワインの城」など、食べ比べや飲み比べができる「城シリーズ」の展開が始まった。いずれも集客の柱となった。

 早坂が外から持ち込んだ風は、生え抜きスタッフに刺激を与えた。場内のショップではレジに張り付いていた従業員が、商品選びに悩む客に、積極的に声をかけるようになった。ジョークを交えて楽しく売るようになった。早坂が目指す「アトラクションのスタッフ」のような接客を実践した。

 スタッフも早坂に打ち解けるようになった。今では、カステラの城にため息をついた本人と、その話を笑い話にできるようになった。

                 × × × 

 沢田は、早坂に7つの城造りを命じる一方、自身は「7つの王国づくり」に取り組んだ。ハウステンボスのシンボルである花を生かした「花の王国」や、子供が楽しむ「ゲームの王国」、遺伝子解析などが受けられる施設「健康と美の王国」などを始めた。

 新しい店舗やイベントを次々と始める中で、沢田がシビアにみているものがある。経費だ。

 店舗のアイデアや経費の報告を受けると、沢田は必ず厳しく追及する。「そのシャンデリアは新しく買わないといけないのか。使えるものがないか調べたか?」「他の業者だったらもっと安くできるんじゃないか」

 沢田は平成22年の社長就任早々、従業員に「経費2割削減」を指示した。企業として、テーマパークとして存続するには利益を生み出さなければいけないからだ。場内で使われるさまざまな物品の調達にも踏み込んだ。これまでの付き合いを見直し、見積もりは必ず複数の社に依頼するようにした。ほぼ100%外注していた植栽も、自分たちでやるようになった。

 こうして浮かせた経費を、新しい投資に使う。

 利益の確保に加え、沢田は従業員の士気を維持することに気を配る。

 沢田は早坂に対し、城シリーズと同じくらい重要な仕事を与えている。全従業員1500人が集まる全体会議での「宴会部長」だ。

 ハウステンボスは半年に1回、全体会議を開く。2日間に分けて、現状報告と今後の方針が示される。

 従業員は椅子に座ってお堅い話を聞き続ける。宴会部長となった早坂は、会議の締めくくりに、抽選で景品が当たる「ゲーム大会」の時間を設けた。

 宴会部長の就任依頼について、早坂は「従業員にエンターテインメントとは何かを教えてくれ」という沢田からのメッセージだと受け止めた。

 照明や火花、スモークなど特殊効果を駆使し、会議をショーに一変させる。ベテラン、若手に関係なく景品を手にする。

 経費にうるさい沢田に少々金がかかることを認めてもらい、この宴会部長の仕事だけは決して手をぬかないようにしている。

 だからこそ、全体会議の会場は拍手と歓声、そして、従業員の笑顔に満ちあふれている。

 「世界を旅する王様は、かつて栄華を誇った王国を何とか立て直そうと決心し、世界中の友人に呼びかけました。王様は才能ある人を集め、騎士団を結成し、切磋琢磨(せっさたくま)した結果、王国は発展しました」

 沢田は就任後の記者会見で、こんなアニメを上映した。沢田の下で、ハウステンボスを発展させる騎士団が育ってきた。(敬称略)

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