Face ちば人物記

「八幡学園」園長・久保寺玲さん(59)

 ■創設者の遺訓を胸に子供支援

 小さな森に包まれた高台。市川市本北方の福祉型障害児入所施設「八幡(やわた)学園」。玄関ロビーに色彩豊かな園児の作品を展示している。「子供たち一人一人を見つめ、丁寧な支援を心がけています。伝統の造形教室も続けています」。3代目園長、久保寺玲(あきら)さん(59)が笑顔で語る。

 八幡学園は昭和3年、東葛飾郡八幡町(現市川市)で開園。創設者は久保寺さんの祖父、保久さんだ。

 「踏むな 育てよ 水そそげ」-。初代、保久園長が残した標語に学園の理念が凝縮されている。入園児の才能を伸ばす教育を行った。造形教室で才能が開花したのが放浪の画家、山下清である。彼は昭和9年、12歳で入園した。

 「私が生まれる前に清さんは退園しており、接点はありませんが、父や祖母から逸話を聞きました」

 放浪は突然、始まった。茶箱に生活用具を入れ、荒縄でくくって担ぎ、学園を抜け出したという。しばらくすると、ふらりと学園に戻って来る。驚異的な記憶力で放浪先の情景を貼り絵作品に仕上げた。それでもまた、放浪の虫がうずく。2代目の光久園長が「リュックという便利なものがある」と教えた。すると、放浪の旅にはリュックを背負うようになったそうだ。

 「清さんが浴衣を干すなどの様子で『明日の朝あたりまた、学園を出ていくな』と分かったようです」

 久保寺さんは大学卒業後、群馬県・榛名山麓(さんろく)の知的障害者総合福祉施設「はるな郷」で働いた。3年間は障害児入所施設、最後の年は入所授産施設で農耕班を担当。利用者と田んぼや畑で米や野菜を育てた。

 その後、八幡学園の職員となった。新任時は職員寮に住み込んだ。「園長の息子」としての特別扱いは一切なく、現場の児童指導員として働いた。いかにして園児らの気持ちを推し量り、個々の障害内容に適した支援指導をチームワークで行っていくか。経験を積み、上司や先輩の指導を受けて体得していった。

 「園児からさまざまなことを教えてもらった。現場で得るものも大きかった」

 転機が訪れる。平成16年、高齢の父の後を継いで3代目園長に。「これも定めか」と覚悟を決めた。

 学園事務所正面玄関脇に初代、保久園長の胸像が立つ。学園が八幡町から現在地に移転した際、リヤカーで運んだという。やさしい笑みをたたえている。

 「創設者の遺訓を、今も大切に守っています」

 現在は5寮1ホームで知的障害児約70人が暮らす。特別支援学校など地域の5校に通学している。幼児通園施設と放課後デイの障害児支援を行い、地域の子供たちも通ってくる。伝統の造形教室は週3日、若い画家が専任講師となって放課後などに続けている。市内の絵画コンクールに入選した子もいる。

 久保寺さんに施設を案内してもらった。清潔な室内。明るい窓。中庭では園児が職員に見守られ、元気よく遊ぶ。寮内にも笑顔があふれていた。

 「学園の理念を理解し、日々現場で奮闘してくれる職員たちの力が大きい。皆、本当によく子供たちを大事にしてくれます。地域の障害児支援の拠点のひとつとしてお役に立てるよう努力したい」 (塩塚保)

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【プロフィル】久保寺玲

 くぼでら・あきら 昭和31年、市川市出身。淑徳大学社会福祉学部卒業。知的障害者総合福祉施設「はるな郷」(群馬県高崎市)勤務。「八幡学園」の児童指導員などを経て平成16年、3代目園長就任。休日には映画を楽しむ。最近印象に残ったのは「永遠の0(ゼロ)」。

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