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第一級史料である江戸時代の陶工、尾形乾山(けんざん)の自筆伝書「陶磁製方(佐野伝書)」や、乾山が晩年、栃木県佐野市で制作した作品群「佐野乾山」の一部が11月下旬に発見され、ゆかりの同市に寄託された。「佐野乾山」は、戦後の真贋(しんがん)論争事件があだとなり、美術商はタブー視し、専門家の間でも半世紀もの間、研究が進んでいなかった。戦前の地元での研究では、真作とされた作品が確認されていたものの、昭和60年に県内の旧家で盗難事件が起き、数点が所在不明になるなど、佐野乾山は多くのミステリーに包まれている。
消えた作品
「何かおかしい。まさか荒らされたのでは…」。昭和60年10月、栃木県内の旧家。この家の男性は半年ぶりに文庫蔵2階に足を踏み入れ、異変に気付いた。家宝の名刀や掛け軸の数々、そして乾山の陶器2点が土蔵破りに遭い、姿を消していた。
2点のうち1点は「鮑形松桜絵菓子器」で、裏面などに、「佐野庄 大河氏造」「乾山省画」などと記されていた。もう1点の「色絵梅蘭水仙図火入」の底には、「佐野天明 大川」「乾山老翁造之」といった書き入れがあった。
両作品とも、昭和47、48年に開催された栃木県立美術館開館記念展に出展され、美術書にも掲載されていたが、その後、所在不明になっている。
200点以上の作品が対象になった真贋論争事件の以前、正真正銘の「佐野乾山」とされたのは、わずか数点程度だった。
同家には、真贋論争事件に関係したとされる美術商が何度も出入りしていた。また、盗難前には連夜、無言電話があった。「留守で受話器を取らなかった夜、忍び込んだのでは。どうも以前から狙われていたような気がする」と、男性の家族らは当時を振り返る。