「久しぶりに会うものですから、気まずくてみんなが黙りこくっているもので、『何か歌を歌いましょう』ということになって、『めぐみちゃんが歌を歌ってくれました』ということでした。その歌は何だったと思いますか?」。会場に早紀江さんは問いかけるように話し、「めぐみは一生懸命に君が代を歌ったと聞きました。『私は日本人なんだ』。それを自分に言い聞かせるために君が代を一生懸命高い声で歌ったのだと思います」と続けた。
こっそりと日本の歌を口に
歌はめぐみさんと切り離せない存在として知られている。小学校6年のとき、卒業式の謝恩会でシューマンの合唱曲「流浪の民」を学年全員が歌った際には、歌が上手だっためぐみさんが担任のすすめでソプラノを独唱。その歌声はテープに収められ、家族が大切に持っている。
北朝鮮に拉致されてからも、歌はめぐみさんの心を慰めていた。拉致された翌年の1978(昭和53)年から一時期、一緒の招待所で暮らした曽我ひとみさん(56)は2人で外に出かけた際、日本の歌をこっそりと歌っていたことを明らかにしている。日本語を話したり、日本の歌を歌ったりしているのが北朝鮮当局に見つかれば、怒られることは分かっていた。それでも2人は故郷を思いながら、日本の歌を歌っていたのだ。
母の決意「必ず助けなければ」
11月28日の集会の最後には、早紀江さんとめぐみさんの父、滋さん(83)、田口八重子さん(60)の兄で家族会代表の飯塚繁雄さん(77)が聴衆とともに、唱歌「ふるさと」を歌った。