湯浅博 全体主義と闘った思想家

独立不羈の男・河合栄治郎(9)その生涯編・宿場の生家

河合栄治郎の生家「徳島屋」の跡地は、現在、旧日光街道沿いの商店街の中のスーパーマーケット(右手前)になっている=東京都足立区千住(荻窪佳撮影)
河合栄治郎の生家「徳島屋」の跡地は、現在、旧日光街道沿いの商店街の中のスーパーマーケット(右手前)になっている=東京都足立区千住(荻窪佳撮影)

 (毎週土日に掲載します)

江戸っ子、栄治郎の登場

 江戸四宿の一つ、日光街道の千住には、かつて廓(くるわ)と飲み屋が軒を連ねていた。松尾芭蕉の従者、曽良の『旅日記』には芭蕉は奥の細道に旅立つにあたり、なぜか「六日間滞在」とある。芭蕉もしばしここで沈没したかと勘繰れば興味深い土地柄である。

 宿場の真ん中あたりに、幕末から昭和にかけて酒の卸と小売りの「徳島屋」があった。同じ敷地内には分家が営む河合醸造所もあり、東京名物「河合の花白酒」の醸造元として名をはせた。白酒はひな祭りに振る舞われ、俳句の季語でもある。

 白酒の紐の如くにつがれけり

 高浜虚子

 徳島屋と橘井堂

 河合善兵衛の徳島屋商店は、商売が繁盛してみるみるうちに「九尺二間の小規模経営から、のちには使用人二十五名ないし三十名におよぶ経営」にまで広げた。女中が3人いて、うち1人は徳島屋の次男坊の世話にかかりっきりになっていた。この次男坊こそ、のちの東京帝国大学教授、河合栄治郎である。

 北千住の地元「安藤昌益と千住宿の関係を調べる会」が、徳島屋の跡地前に一時、「河合栄治郎生家旧跡」の掲示板を出したことがある。調べる会事務局長の矢内慎吾さんと、街道筋を歩くと、左手角にある大型スーパー脇にそれはあった。

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