話の肖像画

ケント・ギルバート(3) 「日本弁護士連合会は非関税障壁の一つだ」

モルモン教伝道のため活動した九州で同僚宣教師と=昭和47年8月(本人提供)
モルモン教伝道のため活動した九州で同僚宣教師と=昭和47年8月(本人提供)

 〈日本での伝道の場は九州だった

 昭和46年12月17日夜に羽田空港経由で福岡市に着きました。寒かった。宣教師のところで入った大きなお風呂がとても気持ち良くて、これがきっかけで温泉狂になりました。翌日からは早速、伝道のため天神に出て、日本語で「こんにちは、お元気ですか」と道行く人たちに話しかけました。でも、誰も教科書通りの答えを返してくれないから意味がわからないんですよ。日本に来る前にハワイで2カ月の集中講義を受けましたが、徹底的に覚えたのはしゃべることだけでしたからね。やがて相手が何を言っているのかわかるようになりましたが、日本ではいつも辞典をポケットに入れていましたね。山口県柳井市や長崎県佐世保市でも伝道したので、方言も自然に身についたようです。

 ちなみに、モルモン教の宣教師はヘルメットをかぶって自転車に乗っていますが、着用のルールを作ったのは僕なんです。平成2年頃です。このルールのおかげで新潟県での伝道中に事故にあった次男は命を失わずにすみました。

 2年間の伝道を終え、復学して日本語・日本文化と国際関係論を専攻しました。大学卒業後はブリガムヤング大学(BYU)の法科大学院に進みました。ハーバード大やコロンビア大などにも合格しましたが、奨学金を全額出してくれたのはBYUだけでした。並行して経営学修士(MBA)の勉強も行いつつ、大学では日本語を教えていたので、毎日忙しかったですね。

 大学院2年の夏は東京青山法律事務所で研修しました。このとき、就労ビザの発給が遅れて、本来なら4カ月の就労期間が3カ月になってしまいました。日本弁護士連合会がビザが下りないようにいたずらしたんじゃないかと思っているんですよ。外国人弁護士においしい国際業務を奪われると思ったんでしょうね。日弁連は非関税障壁の一つだと思いました(笑)。

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