金正日(キム・ジョンイル)が、スポーツと文化の国際イベント「第13回世界青年学生祝典」を平壌に誘致したのは、韓国が1988年に開催したソウル五輪を上回るイベントを主催する能力があると誇示するためだった。
「金正日は、自分以外が注目を浴びたり、賛辞を受けたりすることは許さなかった」。正日に会った経験のある亡命者や記者らを聞き取り調査した米アリゾナ州立大元教授のチョ・ヨンファンは、その性格についてこう分析する。
「矮小(わいしょう)な外見上のコンプレックスを克服し、偉大だというイメージをつくる願望を大きなモノに投影させようとする傾向があった」
85年、ソウルに63階建ての「63ビルディング」が完成する。その写真を見るや、正日は側近らにこう命じた。「南朝鮮(韓国)のガキどもが63階を建てるなら、共和国(北朝鮮)はその倍の126階を建てよ」
三角形の外観が特徴の柳京(リュギョン)ホテルとして105階建てに修正され、計画は実行されるが、いまなお完成していない。
頓挫した肝いり事業
88年2月20日に開かれた朝鮮労働党政治局会議で、金正日は、人海戦術で建設を進める「200日戦闘」を提案。建国40周年に当たる9月9日を期限とし、平壌に260の祝典関連施設を建てるといった計画を明らかにする。
北朝鮮が誇る化学繊維を生産する順天(スンチョン)ビナロン工場の再建や金策(チェク)製鉄所拡張工事、中小水力発電所の建設も含まれていた。