北朝鮮は87年11月にモスクワで開かれる「10月革命70周年」記念式典に代表団を送ることを決める。それに絡んで、ソ連共産党書記長のミハイル・ゴルバチョフを北朝鮮に招請するかをめぐって父子はぶつかる。
北朝鮮元外交官によると、ソ連への訪問準備に追われていた外交部(外務省)に金正日から電話がかかってきた。部長(外相)の金永南(ヨンナム)に、正日はまくし立てた。
「ゴルバチョフに面会したら、来てほしいと言うんじゃない。彼は(スターリン批判をした)フルシチョフより、もっとひどい修正主義者だ」
改革開放を極度に恐れていた正日は「ペレストロイカ(改革)」を推進するゴルバチョフを毛嫌いし、招請に反対だった。
その直後、今度は日成から電話がある。
日成「代表団の準備は順調か」
永南「はい。首領さま。準備万端です」
日成「よかろう。今度行ったら必ず、ゴルバチョフに来てほしいと言え。ことわざに『憎いやつには、餅をもう一つ与えよ(憎い相手にこそよくしろ)』というじゃないか」
相反する指示に困惑した外交部は検討の末、正日の判断を仰ぐ。代表団が出発する前夜に裁可が下りた。