秘録金正日(50)

「ウリ式社会主義」に引きこもり ゴルバチョフにまで見限られた金日成

 金日成(キム・イルソン)は1985年を境に、政権内での影響力を急速に失っていく。健康上の問題からか、政権運営の意欲が減退したためかは定かでないが、表面上は、長男の金正日(ジョンイル)に政務の大半を委ねる態度を貫いた。

 北朝鮮の文献によると、日成は84年秋、正日の盟友で、朝鮮労働党書記の許ダム(=金へんに炎)(ホ・ダム)に次のように語り、息子を持ち上げたとされる。

 「金正日同志は党の指導者であり、代表者です。彼は私の志に沿って、わが党を強化発展させる闘いを陣頭指揮しています」

 こうも念押ししたという。「全党員は金正日同志を忠誠一筋に仰ぎ、彼が示した方針を無条件に貫徹しなければなりません」

 半面、思想・理論面で日成父子を支えた黄長ヨプ(=火へんに華)(ファン・ジャンヨプ)は、正日中心の指導体制に替わった85年以後も、統治権をめぐる父子間の確執があったと証言する。

 「金日成と金正日は、ことがうまくいかなければいかないほど、相手側を誹謗(ひぼう)することで、気休めにしていた」

「来るな」「来い」相反する指示

 金日成は、政権運営を息子に丸投げしておきながら、外交と軍事分野では、しばしば自分の意思を押し通そうとした。

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