日本の源流を訪ねて

大隈重信旧宅(佐賀市) 傑物育てた母の「人生五訓」

早稲田大学を創設した大隈重信の生家
早稲田大学を創設した大隈重信の生家

 早稲田大学の創始者、大隈重信(1838-1922)が生まれ育った邸宅は、佐賀鍋島藩の城下にあった。当時の武家屋敷の面影を残す。旧宅は昭和40年、国の史跡に指定された。

 大隈家は代々、藩の砲術を担う家柄で、300石の禄を食(は)んでいた。特に父親の信保(のぶやす)は、荻野流の砲術家として知られ、石火矢頭人(いしびやとうにん)という、後の軍隊で言えば砲術長として長崎の警備にあたった。

 天保3(1832)年、信保が、かやぶきの家を買い取った。現在、「旧宅」として残る家の広さは50坪ほど。その6年後の2月16日に長男・重信が誕生した。幼名は「八太郎」だった。

 重信は6歳で藩校「弘道館」に入学すると、めきめきと頭角を現した。

 12歳の時、父・信保が亡くなる。重信は母親の三井子の愛情を一身に受けて成長した。

 幼少時の重信は実におとなしい少年だったという。三井子はかなりのインテリで、重信に「お前の先祖は菅原道真公だから」と言って聞かせて育てたが、「勉強しろ」といった形跡はない。重信の友人が家に来て遊ぶのを、喜んでみていたという。

 そして「けんかはしてはならない」「人をいじめてはいけません」「いつも先をみて進みなさい」「過ぎたことをくよくよ振り返ってはいけません」「人が困ったら助けなさい」と諭した。

 母が何度も口にした「人生五訓」を、母思いの重信は、自身の人生訓と、期待に応えていった。

 家は当初、平屋だった。そこを三井子は「重信のために」と2階を増築し、広さ9畳の勉強部屋を作った。2階には1階の押し入れにある「隠し階段」を使って上がる。

 畳敷きの勉強机は柱の前に置かれた。この柱には出っ張りがある。机に向かいながら居眠りすれば、出っ張りに頭がぶつかり、眠気が覚めるという仕掛けだ。

 また、大きな明かり窓を設けた。それも重信の気が散らないように、外が見えない高さに設計された。この勉強部屋は当時のまま、残されている。

 母を尊敬して育った重信は後に「女性はもっと社会進出すべきで、高等教育を受けさせなければならない」との考えを持つようになった。佐賀女子短期大学(佐賀市)の前身の家塾や日本女子大を支援した。

 明治、大正の政界で重鎮となった重信は生前、旧宅に戻ったのはわずか3回だった。だが、後に侯爵となった大隈の原点は間違いなく、この家にあった。

 旧宅に隣接する大隈記念館の江口直明館長(67)は「あれだけ世界を見据えて生きた傑物はいません。旧宅からは、大隈侯がどのように素質を磨き、優れた感性を持ったのかが分かる」と語った。(村上智博)

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 佐賀市水ケ江2の11の11。長崎自動車道の佐賀大和インターチェンジから車で20分。バスは佐賀駅バスセンターから「大隈記念館入口」バス停で下車、徒歩3分。同記念館は午前9時~午後5時開館。入館料は大人300円、小・中学生は150円。年末年始(12月29日~1月3日)は休館。問い合わせは同記念館(電)0952・23・2891。