湯浅博 全体主義と闘った思想家

独立不羈の男・河合栄治郎(3)若き助教授の反論

京大紛争で火ダルマになって逃げる学生。激しい闘争も繰り返された時代だった=昭和44(1969)年
京大紛争で火ダルマになって逃げる学生。激しい闘争も繰り返された時代だった=昭和44(1969)年

(毎週土日に掲載します) 

「巻き込まれ論」の破綻

 書棚から古い本や雑誌を引っ張りだして、読み返してみた。すると、京都大学の若き助教授、高坂正堯に批判された東京大学助教授の坂本義和は、しばらく沈黙のあと、高坂論文の発表から2年もたって反論を発表したことが分かってきた。

 それも舞台は、『中央公論』ではなく、彼のホームグラウンドである岩波書店の『世界』昭和40(1965)年3月号で、現実主義者の弱点を狙って「『力の均衡』の虚構」(坂本『地球時代の国際政治』所収)を書いている。

 坂本はこの論文で、現実主義者がいう2要素のうち「力の均衡」は軍拡競争を招き、「ナショナル・インタレスト」は国民の利益ではなく、国家の利益を追求する理論的復古にすぎないと論じた。

 坂本がこの論文を書くまでの2年の間に、高坂は『中央公論』1964年9月号に「海洋国家日本の構想」を書いて、日本が島国意識から脱皮するよう求めていた。ちょうど、中国が初の核実験をするのではないかとの予兆があったころだ。

 高坂は「イギリスは海洋国家であったが、日本は島国であった」との修辞法で警鐘を鳴らした。海を活用する英国と、海を背に閉じこもる日本を対比し、わが国が海洋国家として自立するよう提言したのである。

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