静岡 人語り

iZoo(イズー)園長・白輪剛史さん(3)

 ■「異端」人生がオンリーワンに 18歳で爬虫類卸し年商3000万円

 当時の農業高校は90%以上が就職でそれ以外は進学でした。親は「ヘビは飼うな」という以外は爬虫(はちゅう)類について理解をしてくれましたが、卒業前になると、とにかく就職しろ就職しろとノイローゼになるほど言われました。

 そんな中、熱川バナナワニ園から自分に求人がありました。「うちに来ないか」と。すごく行きたいと思いました。だけど、よくよく聞いてみると、正月休みがないとか、住み込みで働かないといけないとか、いろいろと条件があって、それじゃ嫌だなと思って断っちゃったんです。

 日本平動物園で働こうと思って静岡市の公務員試験を受けたこともあります。筆記試験が通って、市役所に面接を受けに行きました。そうしたら、みんなスーツを着ているんですよ。僕は普段着で行ったのですが、バイトという世界を経験したことがないからスーツで面接を受けるという常識を持ち合わせていなかった。だから周りのスーツ姿がショックで、自分には合わないと思って面接を受けずに帰ってきちゃいました。

 卒業書類に進学先か就職先のどちらかが入るのですが、僕は「未定」で卒業しました。先生たちは「未定なんて聞いたことがない」と怒っていました。僕の人生はずっと異端、異端、異端できているんです。でも、人から異端と思われることが快感だったし、爬虫類好きでちょっと変わった子と見られることも快感だった。コスプレと似ているかもしれない。爬虫類は僕にとってのコスプレでした。

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 高校を卒業してすぐタイに飛びました。知人にタイで売買されている動物の価格表を見せてもらったことがきっかけです。価格表を見ると、日本で10万円するカメが3千円で売っているんですよ。愕然(がくぜん)としました。これは仕事になると思って、一般の人にトカゲとかを売っていたブローカーの仕事を辞めて、業者専門の卸業をやろうと決めました。

 タイは東南アジアのハブ空港で、世界中の動物商が買い付けに来ていました。タイ語が共通語だったので、スイス人もイスラエル人もみんなタイ語でやり取りしていました。もちろん僕はタイ語も英語も話せない。でも、無鉄砲だったので、とりあえずタイに行っちゃいました。そうしたら当たり前だけど言葉は通じないし、ホテルもこんな所で寝たら死んじゃうと思うくらいとんでもない宿で、日本大使館に電話したのを覚えています。「助けてくれて」って。現地の通訳会社を紹介してくれたので1日4800円で通訳を雇って案内してもらい、コブラを2匹買うことができました。

 以来、頻繁にタイに行くようになり、4回目からは通訳を雇わず1人で買い付けをしていました。海外の動物マーケットにいると、タイ語は覚えるし、いろんな人との出会いもあり、仕入ルートがどんどん広がっていくんです。この頃は主にトカゲ、ヘビ、カメを国内の爬虫類専門店に卸していました。僕以外にこんなことやっている人がいなくオンリーワンの存在だったので、どの店もお抱えのように大事にしてくれました。

 18歳で年商3千万円くらいはあったと思います。親は相変わらず「フラフラするな」と毎日のように言っていました。まさかそんなに稼いでいるとは知らなかったのでしょう。(構成 広池慶一)

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【プロフィル】白輪剛史

 しらわ・つよし 昭和44年2月1日生まれ、静岡市出身。県立静岡農業高校卒。平成7年に爬虫類や両生類などを卸売りする「レップジャパン」を設立し、代表取締役に就任。14年から国内最大級の爬虫類展示卸売会「ジャパンレプタイルズショー」を主催し、24年12月に爬虫類をテーマにした動物園「iZoo(イズー)」を開園して園長に就任した。

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