衝撃事件の核心

「最後はぼろ切れのように捨てられる」 山口組4代目〝ボディーガード〟独白 組分裂は「足を洗う絶好のチャンス」

 分裂に至った動機はいまなお謎に包まれ、憶測も交えてさまざま語られているが、竹垣代表は離脱組のメンバーから、こう推測している。

 「(分裂した側の神戸山口組は)組長らの年齢を見たら、最後の賭けをしたのだと思う。このままだったら上納金を払い続け、組織の金が続かなくなり、最後はぼろ切れのように捨てられる。金を出せなくなったら、結局、ほうり出されるだけだ」

 分裂の背景に金銭問題の存在を指摘する声は、これまでにあった。実際のところは分からないが、竹垣代表は山口組を割って出ることの重大さを語る。

 「山口組の『盃(さかずき)』をいったん飲んだのなら、それは絶対。その仕組みを壊してまで分裂したのだから、相当な覚悟なのだろう」

一時は姫路最大の暴力団

 観光客でにぎわう世界遺産「姫路城」。この近くに、竹垣代表のNPO法人事務所がある。

 「強きをくじき、弱きを助ける。そんなヤクザにあこがれて、21歳で極道に入った」

 入ったのは竹中組。後の竹中正久・山口組4代目組長が立ち上げた組だった。

 その後、「竹中組長からの寵愛(ちょうあい)を受け」、ボディーガード役を務めたこともある。「困った人がいれば、必ず助けなければいけない」。竹中組長が口癖のように言っていた言葉は、いまもよく覚えている。

 やがて、山口組を二分した「山一抗争」が勃発(ぼっぱつ)。竹中組長は殺害されてしまうが、竹垣代表は当時、収監中だったという。

 自らも暴力団の組長だった。一時は組員約150人を数え、姫路で最大組織といわれたこともあったと振り返る。