幸村ゆかりの各地の期待は高まるばかりだが、地域の観光振興に詳しい法政大大学院の増淵敏之教授(文化地理学)は「大河はあくまで契機のひとつ。集客を継続するには、放映終了後を見据えた創意工夫が何より大事だ」と話している。
◇
真田幸村 安土桃山時代~江戸時代初期の戦国武将。本名は信繁(のぶしげ)。慶長5(1600)年、関ケ原の戦いに向かう途中で上田城(長野県)を攻めた徳川秀忠の大軍を父・昌幸とともに迎え撃ったが、関ケ原で徳川家康率いる東軍に敗れた西軍についていたため九度山(和歌山県)に流される。慶長19(1614)年、豊臣家の求めで大坂城に入城。豊臣方と徳川方が激突した同年の大坂冬の陣で「真田丸」と呼ばれる堅固な出城を築き、徳川方を苦しめた。翌年の夏の陣では、家康の本陣にまで攻め込む活躍を見せた後、戦死した。