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最後の将軍・慶喜が晩年こよなく愛した乗り物は? 籠、馬、船、それとも… 静岡市が復活プロジェクトを始動

 後に編纂された「静岡市産業百年史」には、「明治12年、徳川慶喜 鉄輪の自転車へ乗る」と記され、「静岡県自転車軽自動車商業協同組合の創立80年記念誌」では、明治10~12年に自転車を入手したとされている。

 さらに、明治20年の新聞には、「慶喜公が運動のため、自転車を乗り回されている」との記述がある。慶喜公が晩年を過ごした屋敷跡「浮(ふ)月(げつ)楼(ろう)」では、同年のものとされる前輪が後輪の数倍大きい、「ダルマ型自転車」に乗る様子を描いた絵が伝わる。

 こういった資料をもとに、復刻プロジェクトを進める静岡市は「明治20年に慶喜公が自転車に乗っていたことは間違いなく、明治10年代にすでに自転車を入手していた可能性が高い」と考えている。ただ、明治20年以降の資料は比較的そろうものの、明治10年代の信頼できる資料はほとんど残っていない。

 日本における自転車の歴史をひもとくと、明治10~12年は、自転車の車輪が木製から鉄製に移り変わる過渡期だった。形状も、「ダルマ型」と、さらに古いタイプの「ミショー型」が混在していた。

 逆に、明治20年にはすでに、「ダルマ型」よりも新しい、「セーフティー型」と呼ばれる現在の自転車に近い形状のものが出回っていた。このため、「新しい物好きで身長が低く足も短かった慶喜公が、古いタイプで乗りづらい、ダルマ型に乗っていたとは考えにくい」との考察も有力だ。

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