国民の自衛官 横顔

(9)空自航空救難団飛行群新潟救難隊 鈴木信一准空尉(52) 陸海救助49件「最後のとりで」

頼もしい愛機「UHー60J」と鈴木信一准空尉=新潟市の新潟分屯基地
頼もしい愛機「UHー60J」と鈴木信一准空尉=新潟市の新潟分屯基地

 深夜、沈没しかけたタンカーの乗組員、厳冬の北アルプス剣岳の遭難者-。陸海を問わず49件の救助に出動し、多くの人命を救ってきた。しかも海上保安庁や警察、消防が出動できない、または救助できなかった現場だ。「われわれが最後のとりでなんです」

 平成6年、名古屋空港(当時)で発生した中華航空機墜落事故では最初に現場に駆け付けた。264人が死亡した凄惨(せいさん)な現場で若い隊員を陣頭指揮し、夜を徹して人命救助を続けた。

 東日本大震災にも出動。学校の屋上で数人が手を振っていたのでロープで降下すると、教室には400人、500人と避難しており、燃料の続く限り救助した。

 「他を生かすためにわれも生きる」。部下を教育するとき必ず伝える言葉だ。

 川の中州に取り残された3人の救助に出動した際、濁流であやうく自分の命まで失いかけた苦い経験を持つ。「若いときは使命だからと、やめる勇気が出ない。だが、事故になると救助もできなくなる。だから最悪のケースを想定して出動しろと言っています」

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