原稿は、かねて目をかけてくれていた文芸評論家の佐々木基一に預けられ、「新日本文学」(昭和32年8月)に発表された。地味な文芸誌だったがこれを平野謙が新聞時評に取り上げ絶賛した。すぐに文芸誌から原稿依頼があり、文学界12月号に発表した「裸の王様」でその年の下半期芥川賞を受賞するのだ。
新聞記事を読んでから芥川賞受賞までわずか1年という早業。開高は一気に注目の作家となる。多忙の中、寿屋も退社した。
しかし、受賞後の気負いと緊張の中で書けない不安に陥り、しばらくうつ状態に陥る。復活したのは、やはり書くことだった。
久しぶりに帰った大阪で、大阪城に出没する謎の窃盗集団「アパッチ族」の話を聞き、自分のテーマを発見する。
大阪城にある旧陸軍砲兵工廠跡地に残る鉄の残骸を、掘り起こして売り飛ばそうとする不法集団。そうはさせじと壊滅作戦を展開する警察。社会の最底辺に生きる人々の熱気と狂気。開高は大阪で取材を重ね、作者いわく「ラブレ、スウィフト、関西落語、西鶴」などあらゆる文学的素材を足がかりに書いたという初めての長編だ。
「日本三文オペラ」は評判を呼び、開高の代表作のひとつとなった。
まだ29歳という若さ。以後、ベトナム戦争に足を踏み込み、九死に一生を得る体験をして「輝ける闇」「夏の闇」という開高文学の頂点のひとつをなす作品に結実され、その後も紛争地にでかけたり、アマゾンに魚釣りに行ったり、美酒を語り、豪快に食する骨太の小説家・開高健へと驀進(ばくしん)していく。