日本の源流を訪ねて

八千代座(熊本県山鹿市)

極彩色の広告画が飾られる八千代座の天井
極彩色の広告画が飾られる八千代座の天井

 ■華やか芝居小屋、歴史つなぐ

 温泉と山鹿灯籠で知られる熊本県山鹿市の旧豊前街道の一角に、白壁の商家が並んでいる。その中心にある木造2階建ての芝居小屋「八千代座」は、江戸時代の歌舞伎小屋の様式を今に伝える。

 八千代座の板敷きに素足で上がり、木戸口をくぐる。屋内は意外に柱が少ない。客席は後ろにいくほど傾斜が付けられ、舞台がよく見えるように設計されている。客席から見上げる天井には、雑貨店や履物店などの色鮮やかな広告が飾られている。明治43(1910)年建設当時の面影が濃い。天井中央からは、現存する芝居小屋ではここだけ、という真鍮(しんちゅう)製のシャンデリアがつるされている。

 舞台に目を転じると、天井に、竹を格子状に組んだ「ぶどう棚」がある。もちろん、ブドウを育てるわけではなく、舞台道具を取りつけたり、格子の隙間から花吹雪や雪に見立てた紙を散らすという。

 舞台袖から、床下の「奈落」に階段が続く。奈落には、歌舞伎などでスピーディーな場面転換をする装置「廻り舞台」がある。装置を動かすレールや車輪は、いずれもドイツのクルップ製だ。

 八千代座は約650人を収容できる。山鹿の旦那衆が資金を出し合い、建設した。灯籠師の木村亀太郎が熊本市の歌舞伎劇場「大和座」や上海の劇場を見学し、設計の参考にした。

 屋根には約3万3千枚の瓦を乗せた。大きな屋根を支える屋根裏には強度を高めるため、三角形の構造をした洋風の「トラス工法」を採用した。

 こけら落としは明治44年1月、松嶋家一行の大歌舞伎だった。以来、数多くの芸能人が来演している。

 明治期には市川新之助や市川男女蔵、大正期には松井須磨子や天中軒雲月が舞台に立った。昭和期は片岡千恵蔵、長谷川一夫や鶴田浩二、淡谷のりこや美空ひばりなど、実に多彩だ。

 八千代座は昭和30年代まで、歌舞伎や活弁付きの無声映画上映会、柔道とボクシングの異種格闘技戦など多彩なイベントでにぎわい、小学生らの学芸会でも使われた。

 だが、40年代に入るとテレビの普及や娯楽の多様化もあって、芝居小屋は休眠状態となった。雨漏りもひどくなり、荒れ果てた。見かねた地元の有志らが61年、八千代座復興期成会を作り、修復に乗り出した。63年には国の重要文化財に指定された。

 平成になると、片岡仁左衛門氏らがよみがえった八千代座で公演するようになった。中でも坂東玉三郎氏は平成2年から舞踊公演を続け、劇場の復興に尽力している。玉三郎氏は22年に100周年を迎えた際も記念公演を行った。

 八千代座のガイド歴10年になる藤本たかこ氏(57)は「芝居小屋は見どころも多く、歴史のロマンを感じさせる。山鹿の商人ら先人の努力があり、ここまで歴史をつないできた。それには感謝の言葉しかありません」と語った。

 公演のほか、向かいにある「夢小蔵資料館」と一緒に見学もできる。見学料は大人520円、小・中学生260円(ともに団体割引有り)。問い合わせは八千代座(電)0968・44・4004。

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