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「おいしゅうございます」で人気者に
〈言葉遣いに厳しい母親の下、東京・山の手で育った。70歳を迎えた平成5年からレギュラー出演したフジテレビ系人気番組「料理の鉄人」では、的確な批評と試食する際の「おいしゅうございます」の古風で上品な決めぜりふでお茶の間の人気者になった〉
昔は普通に使われている言葉だったのですよ。当たり前の言葉だと思っていたけれど、番組に出るようになると、駅のエスカレーターですれ違うときなどに、知らない若い人たちから「『おいしゅうございます』のおばさんだ」とか言われるわけです。
それまでは裏方の編集者だったのが表に出るようになり、古希を迎えて人生が大きく変わりました。こんなことになるなんて思ってもいませんでした。光栄でございます。
〈番組で紹介されるときのキャッチフレーズは「料理記者歴40年」だった。昭和30年、31歳のときに雑誌「主婦の友」に掲載された募集告知に応募したのが転機となり、料理記者の道を歩き始めた〉
妹から勧められて「料理の好きな家庭婦人求む。なるべく子供のある主婦」という主婦の友社の募集記事を読み、得意の料理を生かそうと思って応募しました。一番、困っていた時期でしたもの。
20歳のときに結婚した主人の岸秋正は、陸軍の職業軍人でした。16年の香港攻略戦に参加し、その後も激戦地を転戦しました。戦争に負けると夫は公職追放となり、食べていくのも大変な時代を経験しました。
30年は夫の仕事が変わった頃で、働かないと食べていけない、そういう時期でございました。ただ、日本全体が貧しい時代でしたから、苦にはなりませんでした。