安保改定の真実(8)完

岸信介の退陣 佐藤栄作との兄弟酒「ここで二人で死のう」 吉田茂と密かに決めた人事とは… 

 岸が政権運営でもっとも苦労したのが党人派との駆け引きだった。昭和34年1月には、党人派の協力を得るため大野と政権禅譲の密約を交わした。岸は、その後の河野の入閣拒否などにより「政権運営に協力する」という前提条件が崩れたので密約は無効だと考えていたが、後継に官僚派の池田を選んだことへの党人派の恨みは深かった。

 昭和35年7月14日、自民党は日比谷公会堂で党大会を開き、池田を新総裁に選出した。午後には官邸中庭で祝賀レセプションが催された。

 岸が笑顔で来客をもてなしていたところ、初老の男がやにわに登山ナイフで岸の左太ももを突き刺した。岸は白目をむいて病院に運ばれたが、幸い全治2週間で済んだ。

 逮捕されたのは、東京・池袋で薬店を営む65歳の男だった。警視庁の調べに「岸に反省をうながす意味でやった」と供述し、背後関係を否定したが、永田町では「大野の意をくんだ意趣返しだ」とまことしやかにささやかれた。

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 岸の退陣後、安保闘争はすっかり下火となり、ソ連や中国が狙った民主統一戦線による政権奪取は果たせなかった。

 とはいえ、自民党にも後遺症が続いた。安全保障は議論さえもタブー視されるようになり、結党時に「党の使命」とした憲法改正はたなざらしにされた。

 「安保改定が国民にきちんと理解されるには50年はかかるだろう…」