非番だった日曜日の朝。その日はたまたま、いつもと反対の方向を走っていた。昨年6月29日、ランニング中に、乗用車が県道脇の民家に突っ込んだ現場に出くわした。
車には子供を含む家族5人が乗っており、運転席の男性(45)と後部座席の女性(72)が逃げ遅れていた。
近くにいた人と一緒にまずは女性を救出。運転席のドアは建物にふさがれて開かなかったため、男性を座席の上から後部座席に引きずり出して助け出した。直後に車は激しく炎上。間一髪だった。火は民家に燃え移り、隣家にも延焼した。
「躊躇(ちゅうちょ)していたら助からなかったと思う。自衛官としての日頃の訓練が生きた」。秋田市消防本部土崎消防署から感謝状が贈られた。
「高校時代は悪いことばかりしていた」。父から「たたき直してこい」と言われ昭和63年、「強制的に」陸上自衛隊に入った。
今では高3の娘と高1の息子の父親。息子が担任の先生に「うちの父は人命救助をしました」と誇らしげに話していたと聞いたときは、うれしかった。
第21普通科連隊(秋田市)と第44普通科連隊(福島市)で対戦車小隊に所属。12年前に秋田に戻り、東日本大震災の被災地でも活動した。
現在は業務隊糧食班で生鮮食品をチェックしている。「実戦部隊を離れていますが、いざというときのために体を鍛えます」。きょうも走り続ける。