北朝鮮拉致

曽我ひとみさんが語るいまだ帰らぬ母への思い(中) 「母の年齢を考えると長くは待てません」 「北では白い米など見たことがない」

 どうしても必要なものがあるときは、事前におばさん、つまり(曽我さん母娘を拉致した工作員の)キム・ミョンスクに伝え、おばさんから指導員に伝え、日程が決まれば送迎の車が来てやっと出かけられるという具合でした。今日どうしても買い物がしたいから、これから出かけるなんていうことはできなかったのです。

 とはいっても来たばかりのころは土地勘もないから、指導員のいう通りにするしかなかったのです。日本では考えられないほど不便な日常でした。また、店内に入って買い物をしている間も、指導員はつかず離れずの状態で私を監視しているのです。確信ではありませんが、他の日本人拉致被害者との接触を避けたかったのだと思います。

 外貨ショップでの買い物は確かに、他の市場と違って品物は豊富にありました。けれど、「いい」と思う品物は高いのです。支給された金額ではとてもほしいものなんて買えないのです。例えウインドーショッピングでも外出できることが唯一の楽しみとなっていました。

凍った川の上をバスが走行

 (横田)めぐみさんと一緒に暮らすようになってからも、日常生活に特段変化はありませんでした。買い物に出かけるのが、1人のときよりもっと楽しみになりました。2人で品物を見ながら、「いいね」「ほしいね」「だけど高いね」「見るだけにしよう」などと買い物をしなくても楽しんでいました。ときどき奮発した気持ちになって、2人とも大好きなお菓子を買って帰り、少しずつ味わいながら食べたことを思いだします。

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