北朝鮮拉致

曽我ひとみさんが語るいまだ帰らぬ母への思い(中) 「母の年齢を考えると長くは待てません」 「北では白い米など見たことがない」

 ただ母の年齢を考えるとそんなに長くは待てません。ごく近い未来ということになります。

帰国したからこそ話せる母の思い出

 今こうして、この場で母の思い出話ができるのは(平成14年10月に)日本に帰ってこれたからだと思っています。帰国当初は日本国中かなり混乱をきたしていたようで、私自身も「何でこんなに周りの人たちは騒いでいるのだろう。私はただ自分の生まれ育った故郷に帰ってきただけなのに」とかなり困惑しました。

 でも徐々に日本の環境、生まれ育った地元(新潟県・佐渡島)での生活になじんできて、母のことを思いだす余裕ができてきたから、人にも話をすることができるようになったのだと思います。もしも今でも北で生活をしていたならば、こんなにたくさんの母との出来事を思いだすことができたでしょうか。

 ときどきは思いだすことがあっても、当時の生活状態ではあれもこれも、母の思い通りに何でもしてあげたいなどと思うことはなかったでしょう。思ったとしてもできる状況ではなかったのです。それだけ北の生活は厳しいものでした。

買い物も指導員の監視付き

 北での生活状況を少し話します。招待所での生活が始まってしばらくすると、生活費の支給がありました。買いたいものはあったのですが、まず第1に紙幣価値が分からないこと、第2に物の価値も分からない、第3に勝手に買い物に出られないなどの理由から使えませんでした。

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