気迫みなぎるたたずまい。「ハッ」。裂帛(れっぱく)の気合のこもった掛け声とともに、大鼓(おおつづみ)の音色が能楽堂の空気を切り裂いた。
「舞台へ命懸けで戦いに行く、という覚悟でやっている。能舞台は戦場だ」
現代の能楽界を牽引(けんいん)する囃子(はやし)方であり、葛野流(かどのりゅう)大鼓方の家元にして人間国宝。品格と豪快さ、深さを併せ持つ名手である。
昨年3月、大阪の大槻能楽堂で、能の最高位の曲とされる「関寺小町」を勤めた。シテは昨年、人間国宝に認定された梅若玄祥(げんしょう)(67)。地頭(じがしら)は観世流二十六世宗家、観世清和(56)。
七夕の日、100歳を超える老女となった小野小町が老残の身を恥じつつ、昔の栄華をしのぶ。やがて、稚児の舞に誘われるように自らも立って舞い始める-。
その無心の境地、生と死のあわいにあるものを、忠雄の大鼓の音色が描き上げていく。緊迫感と静けさ、滋味がないまぜとなった世界がそこに現れた。
「20歳の頃は、同世代の奴(やつ)が下手くそに見えた」
というのも5歳で、人間国宝だった父、亀井俊雄(1896~1969年)に手ほどきを受け、葛野流宗家預かりだった川崎九淵(きゅうえん)(1874~1961年)や、中学からは吉見嘉樹(1893~1969年)にも師事。3人の名人に徹底的に仕込まれた経験が能の深遠を見せてくれた。