元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報

(10完)「『歴史戦』やるなら被害者の証言も聞いてほしい」

植村 で、その時に、ここの(資料集の)どこかにメモがありますけど、やっぱり、その一部の人々は敵と認めたら激しく嘘をついてでも攻撃する、みたいなね。そういうような傾向に歯止めをかけたいから、われわれは裁判を起こすんだという、弁護団の思いを代弁してくださったんですが、私もまさにその同じ思いで今おりまして、それもぜひね。阿比留さんと小林さんも多分、面識はおありなんだと思うんですけど、産経の正論まで書かれていた人まで、これですよ(資料を示す)。

名誉毀損の裁判、これ多分、司法記者クラブで配ったと思うんですけれども、(読み上げる)「最初は挺身隊と慰安婦の混用・誤用の問題で、それは当時の彼国における用法と他紙の報道にならったもので、特別に批判に値しないものを、いつの間にか、悪意の捏造の話に変更され、それが攻撃の根拠にされた。しかし、重要な点は、その悪意が何ら実証されていないことである。だから、不法行為である。しかも、その架空の事実を根拠として、当人の就職先や未成年の子供にまで攻撃が向けられた。これは犯罪である。これは、冷戦時代のイデオロギー論争と同質で、相手を敵と認定したら、嘘をついてでも罵倒する手法である」。

僕は、本当に、阿比留さんはね、僕の敵じゃないと思う。だけれども、阿比留さんはね、『歴史戦』ということで私をこういう形で書かれている。歴史の前に、真実の前に謙虚に、そして慰安婦のおばあさんのことも、阿比留さん、全然、取材、直接、被害を聞かれたことないと思うけれども、やはり歴史戦をやるには、そういうふうな被害者の証言も聞いてほしい。それだけじゃなくて、金学順さんを強制連行と書いた産経の記者たちにも話を聞いてほしい。つまり、当時、どういう状況だったのか、ということですよ。お願いします。本当にお願いします。

原川 あ、一点、すいません、よろしいでしょうか。91年12月25日の記事ですけれども、あの記事が掲載された段階ではすでに金学順さんを原告の一人とする訴訟ならびに…。

植村 もちろん、それ(提訴)は(91年)12月6日ですからね。

原川 ええ、で、遺族会が、実態は一体となって。

植村 うん、まあ、原告を支えるみたいな形でしょうけどね。はい。

原川 そういう意味では、義理のお母さんは、当時はもう遺族会の代表ではなく、まだ幹事の時代ですかね。

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