《海ゆかば 水(み)漬(づ)く屍(かばね) 山ゆかば 草むす屍 大(おお)君(きみ)の辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ》
日本初の本格的な交声曲「海道東征」を作った作曲家、信時潔(1887~1965年)のもう一つの代表作「海ゆかば」。天皇に仕える覚悟を歌った奈良時代の歌人、大伴家持の一首とされる歌詞に、大正・昭和を代表する作曲家、信時が曲をつけた。
「正直言うと、この曲を歌っていると涙で声が詰まってしまうんです」
「海ゆかば」を今も歌い続ける男声合唱団「コール77」(東京都)のメンバー、小林春樹さん(86)は言う。同合唱団は、昭和20年に海軍兵学校に入校した第77期生が集まり、平成8年、結成された。
「お世話になった教官の大尉が同期の戦死の話をする時は、教官の目が青みがかったように見えた。クラスの3分の2が戦死した期もあり、身近に先輩の死があった。皆さんを思うと…」
同合唱団はこれまで、靖国神社や音楽祭などで「海ゆかば」を歌ってきた。戦死した先輩たちの魂を鎮めるため、平和への思いを強めるためだ。指揮者を務める澤登典夫さん(86)は「日本的な音階の荘重な旋律、背筋が伸びるような強弱のはっきりとしたリズム。心に響く名曲を歌い、先輩たちの魂に届けたい」と力を込める。
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「海ゆかば」は日本放送協会が信時に作曲を依頼し、昭和12年に発表。国家への忠誠心を高める国民精神総動員強調週間でラジオ放送されたが、時は太平洋戦争開戦前。改まった席で歌われる儀礼歌という位置付けだった。
そして、16年12月の開戦日に放送され、翌年、大政翼賛会が「国民の歌」に指定。準国歌のようになる。