古代日本と朝鮮、文字使い交易か 下関でシンポ - 産経ニュース

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古代日本と朝鮮、文字使い交易か 下関でシンポ

弥生期の日本の国々について講演する福岡大の武末純一教授
弥生期の日本の国々について講演する福岡大の武末純一教授

 「古代史シンポジウムinしものせき」(古代史シンポジウム実行委員会主催)が5日、山口県下関市の海峡メッセ下関で開かれた。弥生時代、集落の区画が変遷する途上で格差が生まれたとする説や、日本と朝鮮半島の交易で文字が使用されていた可能性などが披露され、参加者は古代史ロマンに浸った。

 今年で2回目となるシンポは「古代史から国際交流を考える I弥生時代の日韓交流(2)」をテーマに掲げた。

 基調講演した福岡大の武末純一教授は、弥生後半期の集落の構造について、自説を述べた。一部の人々が住んだ方形(四角形)の区画が「物見櫓(やぐら)や高床式倉庫群、広場など集落の重要施設を次々に取り込み、格差が生じ始めた」と推察した。「円形に組む盆踊りやフォークダンスは序列をつけない。しかし、軍隊やリレー競走は方形で隊列を組み、序列をつける」と述べた。

 また、弥生後半期の交易活動にも触れた。この時代、漁業と海上交易活動を主体とする「海村(かいそん)」の存在が確認されている。武末氏によれば、これまで海村と内陸副葬地帯の接点があった韓国の茶戸里(タオリ)遺跡から筆、板に書いた文字を消す消しゴム代わりの「書刀(しょとう)」、てんびんの分銅が出土していた。

 加えて、勒島(ヌクト)(韓国)、原の辻(長崎)、田和山(島根)、青谷上寺地(あおやかみじち)(鳥取)の各遺跡から、石硯や研ぎ石なども出土しており、日本や朝鮮半島にあった海村では、交易の場で文字が使用されていた可能性が高まったという。

 山口大埋蔵文化財資料館の田畑直彦助教は地蔵堂遺跡(山口)について、「漢書地理誌にある『百余国』の一つの国の王墓とみて間違いない」と主張した。

 地蔵堂は宅地造成中に発見された遺跡で、標高44メートルの丘陵頂部からは石棺墓1基が見つかった。副葬品として、前漢鏡や国内唯一の蓋弓帽(がいきゅうぼう)(馬車の部品)、玉が見つかっている。田畑氏は「関門海峡まで見渡せる場所で、王の権力の及ぶ範囲を示したのだろう。死者の魂を送るための埋納だったとみられる」と根拠を挙げた。