金学順さんの記者会見は「知らなかった」
植村 ああ、その時はやらなかったね。なぜなら、8月のね、14日の、要するにそれは残念なことなんだけど。8月14日に、インタビューというか共同会見があったじゃない。普通の記者だと、当然ながら自分らが取材した、存在をスクープした、一報をスクープしてるわけだから、その人の生の声やったら聞きたい。しかし、僕は、記者会見というのを知らなかったから。知っていたら当然、大阪社会部はOK出したと思うんだけど、僕も知らなかったから、そのまま帰った。で、突然それやったみたいです。それは、あのー、多分、北海道新聞の記者にも聞かれれば分かると思います。多分、突然やったんじゃないかと思う。当時の状況を知っている人がいるはずですから。
原川 で、手記には悔しい思いを書かれてましたけれども。
植村 ああ、だから申し込まなかった。それはなぜなら、慰安婦のおばあさんたちの動きがどんどん出てきて。要するに、高木弁護士の方の動きを追っかけていたということです。簡単に言えばね。だって一旦存在が明らかになって、その人が記者会見して最低限書いているじゃない。僕は要するにその前に書いていたから。要するに、まあ、(元慰安婦として証言する女性が)一人出たと、また出るみたいな感じの話でした。
原川 で、それでこの、先ほども話に出ました12月25日の記事。この間、書かれた署名記事というのはこの2本、いわゆる金学順さんに関する署名記事というのは当初は、8月11日は匿名であったけれども。
植村 まあ、金学順さんですね。その後、金学順さん…。