元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(4)

「嫁さんとの結婚前から慰安婦取材していた」

阿比留「高木さんたちは8月11日の記事の報道には関係はあるんですか」

植村「いや、みんな誤解されているんだけれど、8月11日の記事は、これは韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)。これご存じですよね。遺族会もご存じですよね。違う団体ですよね。要するに、その、90年夏に2週間行って、空振りになった。でも僕がそこで一生懸命やっていたのはみんな知っているわけですよね。関係者は。尹貞玉先生とかは。なぜなら、尹貞玉先生の教え子なんかに協力してもらって、地方に出張したりしたこともあったんです。

 その辺のことは『ミレ』という大阪の雑誌に書いたということも出ていますし、これ見ていただければと思います。で、結局、まあその時はダメだったんだけれども、91年の7月末か8月初めだと思うんですが、いずれにせよ、僕が取材する前にですね、ソウル支局に僕はしょっちょう電話してたんですよ。僕は、語学留学で1987(昭和62)年から88年まで1年間、ソウルにいて韓国語がよくできてて、当時、支局長と支局員の2人しかいなかった。で、僕がまあ、しょっちゅうソウルに出張していた、大阪から。

 そういう関係で電話したら、支局長から、挺対協が慰安婦のばあさんの調査を始めたらしいと聞いた。で、テープもあるらしいということで始まったということがここに書いてあると思います。ま、そういう経緯であります。だから、これには遺族会の梁順任さんは一切かかわっていないのと、それで、これは遺族会とも関係ない。この時はね。なぜなら、梁順任さんの日記があって、まあ、それもいずれ資料になるんで、ちょっとお渡しはできないんだけど、これは文芸春秋の手記で見ていただければと思います。日記帳を見ると、(記事の)あとで(金学順さんと)会っている。だから、いずれにせよ教えようがないし、僕もそこから聞いたわけじゃあないんですよ」

会員限定記事会員サービス詳細